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東京高等裁判所 平成8年(ネ)3861号 判決

第三八〇七号事件控訴人・第三八六一号事件被控訴人(一審被告。以下「一審被告」という)

株式会社新潮社

右代表者代表取締役

佐藤隆信

右訴訟代理人弁護士

舟木亮一

第三八〇七号事件被控訴人・第三八六一号事件控訴人(一審原告。以下「一審原告」という)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

樋口光善

主文

一  原判決中一審被告敗訴部分を取消し、同部分に係る一審原告の請求を棄却する。

二  一審原告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、一審原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  一審被告

主文同旨

二  一審原告

1  原判決中、一審原告敗訴部分を取消す。

2  一審被告は一審原告に対し、金九〇〇万円及びこれに対する平成五年三月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  一審被告は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞の各全国版に、本判決添付別紙記載の謝罪文を掲載せよ。

4  訴訟費用は、第一、二審とも、一審被告の負担とする。

5  仮執行宣言

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、一審原告において、新聞紙に掲載を求める謝罪文を本判決添付のものに訂正し、当事者双方において、次のとおり付加・敷衍した他は、原判決事実摘示記載のとおりであるから、これを引用する。

一  一審被告

1  一審被告は、一審での事実の真実性・相当性の法理、公正な論評の法理の主張に追加し、現実的悪意の法理(抗弁)を予備的に追加する。すなわち、現実的悪意の法理は、最狭義の定義では、「憲法上の保障は、公職にある者の職務上の行為に関し、名誉を毀損する虚偽が現実的悪意(actual malice)をもって、すなわち、偽りであることを知っていて、または、虚偽であるか否かを無視して、述べられたものであることを立証しないかぎり、損害賠償請求はできないという連邦のルールを要求する」という法理である。これは、等しく憲法上の基本的人権である言論の自由と名誉権が衝突した場における調整法理として、右のとおり言論の自由に重きを置いた判断基準であることは明らかである。それは、当該法理が、今日の憲法学上の通説であり我が国の最高裁判所でも採用された、同じ憲法上の人権である名誉権よりも言論の自由の「優越的地位」を是認する見地から導かれた法理であるからである。他の憲法上の基本的人権に対して優越的地位と称される言論の自由の範囲は、他の基本権同様個人の人格の形成・展開に不可欠な「個人の自己実現」を図るものである私的言論をも包含するあらゆる言論一般を意味するものではなく、立憲民主主義を適正に維持・運営する「国民の自己統治」に不可欠な「政治的言論」にこそその射程範囲を置いている。ところで、本件記事による名誉毀損の被害者は、当時国権の最高機関に所属し、建設政務次官の地位にあった者である。そして、名誉権を侵害したという本件記事の内容は、正にその国権の最高機関に所属し、建設政務次官の地位にあるに相応しいか否かを問う判断材料を主権者に提供した記事である。この国家の中枢にある者は、本件記事による名誉権侵害に対し、マスメディアを利用して反論するのは勿論のこと、地元選挙区ではいくらでも本件記事に関する釈明・反論を選挙民に対し堂々と展開し、選挙民を説得、納得させる機会、地位にあった者である。このような問題を裁くのは原則的に裁判所ではなく、言論による戦いを経た後に主権者たる選挙民が裁くべきものであり、それこそが議会制民主主義の本来のあるべき姿である。

2  本件記事一について

(一) 同記事のうち「『破産・代議士』甲野太郎氏のそれでも『政務次官』」の見出しについて

見出し、前文は、簡略かつ端的に内容を表示し読者の注意を喚起し本文を読まそうとする意図を有する性質上多少表現が誇張されることはやむを得ないところで、本文記事と背理し、前文、見出し自体は虚偽でそれだけで特定人の名誉を毀損する場合は別論であるといわれるところ、本件記事一の見出しは、本文記事をも通読すれば「破産申立てをされた代議士の甲野太郎氏が、それでも政務次官をしている」という本文の批判的記事内容を簡略かつ端的に表示したものであることは、明らかである。何ら見出し自体に本文記事との「背理」「著しい逸脱」などは毛頭存在しないことは多言を要しない。

(二) 次に、本件記事一の見出し広告自体については、なるほど、本文記事を通読しない読者もおり、それ自体一個の独立した文章であることから、見出し広告のみをことさらに取り出し、名誉毀損性を問題とすることができなくはない。しかしながら、本文記事内容をことさら切り離し、見出し広告のみを独立に取り上げて名誉毀損性を争ったとしても、見出しの名誉毀損性の判断基準は「本文と背理するか、著しく逸脱するか」という規準である以上、本文記事を対照せず、これを独立に論じてみても意味がない。本件見出し部分で最も重要なことは、甲野太郎氏が見出し広告の「破産・代議士」から社会的評価を低下させられたというものは一体何かということなのである。これは一般読者が「破産・代議士」から受ける印象、すなわち、甲野太郎氏が債務が多くこれを返済できない状況の代議士であるという印象であり、その社会的評価なのである。現に本件記事の時点で、甲野太郎氏は、宝石商の女性が株式会社Mから借り入れた五億五〇〇〇万円の債務につき連帯保障しており、一旦は五億円に減額した上、分割支払の債務弁済契約を成立させたが、これを支払いできず、差押え、破産の申立てを受けていた者なのである。この主要な事実関係は甲野太郎氏は争わず、破産の申立ては受けたが破産宣告までは行っていないと弁解する枝葉末節的部分が本件見出し部分で争われているにすぎない。しかも、見出し広告でいうところの「破産・代議士」なる日常用語はなく、それのみでは意味が曖昧であるところ、一般読者において、破産申立てと破産宣告の法的効果が異なるとの認識が一般的であったかは疑問である。法的に厳密に破産の申立てを受けた段階にすぎないのか宣告までされたのかは一般読者にとっては関心もなく、法律的に厳密な区別もできず、かつ、記者自身も特別意識をしていないものにしかすぎないのである。これを要するに、本件見出しについては、限られた字数で簡略かつ端的に表現し、読者の注意を喚起する見出しの性質上許された曖昧・誇張は認められるが、本件見出しから一般読者が受ける印象とかけ離れた本文記事との間の「背理」「著しい逸脱」などは存在せず、かつ、虚偽もないということである。

(三) 本件記事一の本文内容については、乙山春男氏のコメント部分については、「利害がらみの話で、よく名前が取沙汰される。まだ当選三回なのに、いくつも事務所を持ち、大勢の秘書を抱えている」との事実摘示部分(①)と「そんなカネ、普通では作れるわけがない」との意見・論評部分(②)「彼は大蔵省のエリート官僚出身だが」との事実摘示部分(③)と「政治理念よりカネが先行しているという印象をうけます。こういう人物が、建設政務次官などという地位を占めることは許されませんよ」との意見・論評部分(④)に分かれ、自民党担当記者のコメント部分は「政務次官は幹事長人事で、今回は反梶山派排除を露骨にやり、かなりもめた」との事実摘示部分(⑤)と「そのドサクサに甲野氏が強引さを発揮、利権ポストをもぎとったといわれています」との意見・論評部分(⑥)、「歳費まで差し押さえられたうえ、地元の和歌山二区は減員区だし」との事実摘示部分(⑦)「危機感にかられたようです」との意見・論評部分(⑧)並びに、記者の結びのコメント部分については「政務次官就任も債務問題と直結していたわけか」との意見・論評部分(⑨)であるが、①の事実摘示部分中、「利権がらみの話で、よく名前が取沙汰される」との部分は証拠上明らかであり、当選回数は当事者間に争いがなく、いくつもの事務所を持ち、大勢の秘書を抱えているとの部分は誤りではない上、これは甲野太郎氏の名誉権に何ら関わりもなく、次の文章(主要部分)の基礎事実の一でしかない。②の意見・論評部分は、甲野太郎氏の東京事務所の一つが超億ションといわれる場所にあり、甲野太郎氏が認める経費等の事実及び「利権がらみの話で、よく名前が取沙汰される」事実を基礎として「そんなカネ、普通では作れるわけがない」との論評、意見を言明すること及びこのコメントをそのまま本件記事一に掲載することは何ら不当、不合理ではない。さらに、③の事実摘示部分は当事者間に争いがなく、④の意見・論評を基礎づける事実としては、甲野太郎氏が破産申立てを受けた事実、利権がらみの話でよく名前を取沙汰される事実、九社の関連会社に関与する事実、テンプル大学経営を巡るトラブル、M&Aに関する訳本等々であり、これらの基礎事実から、「政治理念よりカネが先行している政治家という印象」を持ち、そのような疑惑が多く、商人的であり、今回の破産申立て等のトラブルも多い人物が、国会の要職である「建設政務次官などという地位を占めることが許されない」と批判、論評することは、何ら不合理ではなく、むしろ当然の批判ですらある。⑤については、当時宮沢内閣の改造が平成四年一二月一二日に行われ、同月二六、七日まで延びた事情を、自民党担当記者からの取材により得られた情報として記載したものである。次に続く文脈からも明らかなとおり、政務次官とは甲野太郎氏を指すのではなく、政務次官全員の派閥抗争を指すものであって、甲野太郎氏の名誉権には何ら関係がない。さらに、⑥ないし⑨の部分は、結局のところ「強引」「もぎとった」との部分が争いの対象となるにすぎないところ、これは意見・論評であるところ、政務次官人事は、大体一回目が大蔵、農水、通産、建設など主要な省の政務次官に起用された場合、二回目のときは経済企画、科学技術、環境といった庁の政務次官に起用される。ところで甲野太郎氏は、平成二年二月に農林水産政務次官に就任していたところ、平成四年一二月の宮沢内閣の際建設政務次官のポストを希望していたことは自ら認めるところであり、その上で、本文にもあるとおり、債務保証問題で歳費差押え、破産申立ての渦中にあり、和歌山二区では次回選挙は減員区となり事実上野田議員と当落を争う運命にあった者である。これらの基礎事実を基に、甲野太郎氏が建設政務次官に就いた動機を「次回選挙で危機感にかられ強引に就いたのである」「債務問題に絡んでいたのである」と批判的な意見を表明し、論評をすることは、なんら不当、不合理ではなく、国政を担当する民主主義の場では当然許される主権者からの当たり前の批判的意見の表明である。

3  本件記事二について

本件記事二は、甲野太郎氏の建設政務次官就任の際の「次官の資産」公表を契機に、その不明朗な内容を批判的に検証した記事である。右資産公開制度は、政治倫理の確立のため国会議員の資産等の公開に関する法律一条に記載されているとおりであり、「この法律は、国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする」ものである。ところで、甲野太郎氏は、政治家の長者番付に名を連ね、次々と会社を興してきたにもかかわらず、建設政務次官当時の資産の公開では、未上場株で流通性もなく、どこにあるかも分からずに、およそ差押えには不向きな関連会社三社の株六億三〇〇〇万円のみであり、不動産は零、定期性の預金も零というまか不思議なものである。甲野太郎氏は、当時債務保証問題で議員歳費は勿論のこと、家財道具の動産類まで差押えの対象とされていた者であり、三年前の農水政務次官当時の資産の公開では三重県鵜殿村の不動産と乗用車七台が記載されていたが、これが削除されるにいたっていたものである。この削除については、東大卒の元大蔵エリート官僚であり、税務署長も勤めたことがある甲野太郎氏が「家屋は知らないうちに両親が私名義にしていたもので、実質的に私の資産ではない。乗用車もローンが残っているため、資産にあたらない。前回の申告が不正確だった」と素人のような釈明をしている。このような資産公開について「今回の申立てを予想して、財産の名義を他人に換えただけでしょう」との推論による一般的意見・批判的論評を載せることは何ら不当、不合理ではない。しかも、このような政治生命に関わる政治家と金についての的確な証拠など容易に収集できるはずがなく、本人に取材をして明らかになる道理はない。国民の不断の監視と批判の下におくために公開された資産について、的確な証拠と本人に対する裏付け取材を経なければ批判もできないというのであれば、主客を転倒した議論である。

4  本件記事三についての一審原告の主張は争う。

(一) 大見出しの「『甲野』政務次官の名誉毀損『訴訟』は自爆」については、見出し広告のみに限定していえば、「自爆」とはそれ自体事実の摘示はなく抽象的意味内容しかない。見出し広告を見た一般読者は、甲野太郎氏の起こした名誉毀損訴訟について、本件記事三で何らかの非難をしているとの印象は受けるものの、これが一体誰に対して提起した名誉毀損訴訟なのか、いかなる内容なのか、自爆が一体何を指しているのかは全く判読できず、甲野太郎氏に対しその社会的評価を低下させる具体的事実の摘示はなく、したがって右見出し広告のみでは何ら具体的な評価を形成することもできない。よって、見出し広告のみで甲野太郎氏の名誉を毀損することはあり得ない。この大見出しを本文記事内容との間の文脈で読むと、「歳費・家財道具を差し押さえられ、破産申立てをされた甲野太郎氏に関して本件記事一を掲載したところ、甲野太郎氏はこれを名誉毀損で訴えてきた。甲野太郎氏は、差押え、破産申立てには、各々請求異議訴訟、債務不存在確認訴訟を起こして訴訟で争っており、地元では建設政務次官就任だけを最大限PRし、債務問題については釈明もない。法廷で決着がつくまでは代議士としての道義的責任すらも回避する姿勢は、かって佐川事件で国民が怒りを覚えた、法律に抵触しないという理由で政治家たちが逃げ切ったことと同じであって、自らの非は棚に上げてこれを法廷での法的責任でのみ決着を付けようとする態度は、怒りを覚えた国民から受ける決着(選挙での審判)という意味で、甲野氏の『自爆』につながりかねない、という意味である。このとおり、右大見出しは、あくまでも法的決着で逃げ切ろうとする態度の甲野太郎氏自身の代議士としての道義的責任の取り方、身の処し方を『自爆』と表現したものであり、本文記事との間に何ら背理、著しい逸脱などはない。そして、本件裁判で敗訴するとか、裁判を受ける権利を無視して裁判自体が濫訴であるなどと表現したものでないことも明らかである。

(二) 本件記事三の本文については、原判決認定のとおりであり、事実関係は全て争いがなく、意見・論評部分の争いでしかないところ、本件記事内容は何ら不当不合理な意見・論評ではあり得ない。

二  一審原告

1  本件記事三について、「『甲野』政務次官の名誉毀損『訴訟』は自爆」との記載については、自爆という言葉は自ら爆死するという意味に使われており、本件名誉毀損訴訟は当然に敗訴するかのようなタイトルの付け方であり、通常の社会一般人がこの「自爆」というタイトルを見ただけで、本件名誉毀損訴訟は一審原告側の敗訴が必至で、一審原告は愚かな訴訟を提起したとの印象を受ける文字である。一審被告は、本件週刊誌にこのようなタイトルを大きく付けているが、これは一審原告の名誉を毀損し社会的信用を失墜させる内容の記事を先に発刊した週刊誌に記載したものとして少しも反省することなく、まことに傲岸不遜な書き方で、一審原告から本件訴訟を提起されたことによる報復的な記事の書き方である。さらに、「破産・代議士」甲野太郎氏それでも「政務次官」とあるのは、すでに一審原告が破産宣告を受けていてそれでも厚顔に政務次官に就任していると暗に非難しているように受け取られるタイトルで、これも電車の吊りビラの広告しか見ない人は一審原告に対してなんと厚かましい男が政務次官に就任しているのかとの認識を感覚的に受けるのである。これらの広告の見出しによっても一審原告は社会的な信用を失墜し著しく名誉が毀損されたのである。

2  一審原告は、本件記事掲載により、三期連続当選していて農林水産政務次官、建設政務次官等の要職についていてミスをしたこともなく日夜懸命に職務を遂行し実績をあげていたにもかかわらず、今回一審被告らの発行した週刊誌の悪意をもって書かれた記事が原因で、選挙民に誤解を受け衆議院議員選挙に落選したことは間違いのないことである。これによって一審原告が被った損害は最低でも五億円位はあるが、慰謝料として最低でも一〇〇〇万円は請求できるので、当審では、原審で認容された一〇〇万円を控除した残額九〇〇万円について支払いを求める。なお、一審原告は、一審で訴訟を提起した際に訴訟代理人に着手金二〇〇万円を支払っており、控訴審でも一審被告が先に控訴したので一審原告も控訴したが、控訴審の着手金一〇〇万円を支払っているので、この合計三〇〇万円も本件記事が掲載されなければ必要がなかった損害である。さらに、一審原告は、謝罪広告を求めているところ、謝罪広告の内容を本判決添付のとおりに訂正するが、一審原告の公人であった経歴、これからも政治家として再起して行動しようと決意していることからすれば、謝罪広告は是非とも必要である。

3  一審被告の主張は争う。一審被告の主張は正に出版社が出版物を売らんがための便法的議論である。一般人は数十種もある週刊誌を全部買って読む人はおらず、自分の興味のある記事が掲載されている本だけを購入して読む人がほとんどであるが、それら週刊誌を買って読まない人は誇張して書かれた見出ししか見ない人が大勢おり、本文は本文記載の週刊誌を購入して読まない限り内容は分からず、見出しだけで想像して判断するのが大部分である。したがって、誇張して書かれる見出しは週刊誌を売らんがために故意に付ける悪意のある記事であって、これにより被害者である甲野は著しく名誉を毀損されており、正にペンの暴力といわざるを得ない。一審被告の主張は、新聞広告を見た人全部が本を購入して本文を読了することを前提とした主張であって、誤りである。また、本件各記事は、本文を読んでも誤った逸脱記事が誇張して掲載されているものである。甲野は、当時本件の保証債務以外には債務はなく、一選挙民からの依頼を受けて善意で保証人になったものであって、個人の債務ではなく、それ以前にも債務はなく、むしろ数百人もいる代議士の中では正しく納税申告をし、常に上位の多額納税者であったのである。本件記事は、あたかも甲野は多重債務者でそれを返済できずにいるかのごとき印象を抱かせるものであって、当を得ていない。本件見出しは、甲野が破産宣告を受けたかのような印象を与えるもので、許されない誇張した見出しである。また、甲野が三期国会議員をつとめその間政務次官を二回もやっており、かかる記事により回復することのできない著しい名誉毀損を被ったことについて一審被告は全く反省しておらず、週刊新潮に掲載された本件記事について高度の公共性や言論の名誉権に対する優越的地位などは全くない。真実公共性のある事実であるなら、何十冊とある週刊誌や月刊誌が一斉に書いたはずである。しかしそうはならず、一審被告のみは週刊誌を一冊でも多く売ろうとして、執拗に追って記事にしたものである。特に、本件記事三は、本件訴訟を提起されたことに対する全くの報復記事であって、タイトルも「『甲野』政務次官の名誉毀損『訴訟』は自爆」などと思い上がった見出しを付けている。このタイトルを見ただけの人は、甲野の本件名誉毀損訴訟は当然に敗訴し、甲野は自ら爆死するかのごとき印象を受けるのであり、甲野に対して著しく名誉を毀損し社会的信用を失墜させている。本件記事の内容についても、原判決も説示するとおり、真実ではない誇張記事として「利権がらみの尋常でない方法によって分不相応に多数の事務所・秘書にかかる経費を支出していた一審原告が、出身区の減員問題だけでなく歳費を差し押さえられた挙げ句に後日に破産を申し立てられるような債務問題を抱えて危機感にかられ、これらの問題を解決するために建設政務次官という利権を伴う地位に強引に就いた」との事実を摘示するものとの印象を一般読者に与えるということができるのである。この記事は全くのガセネタ記事であって、和歌山の選挙区は人口が少ない割に地域面積の広いところで、広い地域には数ヶ所の事務所を設置して事務員等を置くことはどこの選挙区の代議士でもすることであり、甲野太郎が建設政務次官となったのは、以前から甲野が自民党の中でも建設行政に関心を持ち、同方面に明るく熱心だったので、自民党の幹部から推薦を受けて就任したものであり、選挙区の減員問題や破産申立事件には全く関係がないところである。本件記事は、一審被告がガセネタを拾い上げ、故意に悪意をもって書いた誠に低級な俗受けを狙った記事である。さらに、甲野太郎が財産隠しをしたかのごとき記事は、一審被告が正しく調査をせずに掲載記事を書いている。三重県鵜殿村にある土地建物は元々甲野の父親が所有していたものを長男甲野正がこれを相続していたものを、誤って甲野太郎の財産として届け出ていたが、これを正しく兄名義にしたものである。乗用車もローンを完済しておらず、自動車販売会社に所有権が留保されていたものを甲野太郎所有と届出ていたところ、これを訂正して届出をしなかっただけのものである。これらを、甲野から事情聴取をすることもなく、あたかも資産隠しをしているかのごとく記載した本件記事は、甲野の名誉を著しく毀損するものである。一審被告は一審原告が家財道具等を差し押さえられたことについては釈明していないなどと主張するが、差し押さえは個人の問題であり、公人として活動の場を与えられたことによる晴れの就任祝賀会場において個人の些細なことなど説明する必要もない。これが公人として正しい態度であり、これをとらえて非難めいた記事を書いた一審被告は名誉毀損の責を負うべきである。

第三  証拠は、原審記録中の書証目録及び証人等目録並びに当審記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当裁判所は、一審原告の本件名誉毀損を理由とする損害賠償請求及び謝罪広告請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却すべきであると判断するが、その理由は次のとおりである。

1  原判決掲記の各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一)  一審原告は、昭和四〇年大蔵省に入省して昭和五七年八月に退官した後、昭和五八年一二月、昭和六一年七月、平成二年二月の各衆議院議員選挙に和歌山二区から立候補して当選し、平成二年二月には農林水産政務次官に、平成四年一二月には建設政務次官にそれぞれ就任していた。ところで、平成二年四月ころ、一審原告は、後援者である貴金属店経営者のTがMから五億五〇〇〇万円の融資を受けるにあたって同人をMに紹介した上、連帯保証人となったが、平成三年一〇月、T経営の貴金属店は倒産し、Tも失踪したため、一審原告は保証債務の履行を求められるようになった。そこで、一審原告の代理人がMと交渉し、平成三年一二月、一旦は債務額を五億円に減額した上、平成四年一月、二月に各一〇〇〇万円、同年三月に四億八〇〇〇万円を支払う旨の債務弁済契約を成立させ、一審原告は、このうち平成四年一、二月分は支払ったものの残額の支払いをせず、最終的に、右債務弁済契約がMの強迫によるとしてその効力を争うようになり、これに対して、Mは平成四年四月ころ、一審原告の議員歳費や事務所内の動産の差押えをし、さらに、平成五年一月までに一審原告の破産を申し立てるに至った。ところで、平成五年二、三月当時は年内に衆議院が解散されて総選挙になるといわれていたところ、和歌山二区は定数が三人から二人に減員される選挙区であり、従前当選していた一審原告を含む自民党三人の衆議院議員のうちの一名が落選することが予想されていたが、同年七月に施行された衆議院選挙では一審原告が落選した。

(二)  一審被告は、このような状況のもと、平成五年二月四日から同年三月四日までの間に自らが発行した週刊新潮及びフォーカス誌上において、一審原告に関する記事を掲載し、この雑誌の広告を新聞や車内の中吊り広告に掲載したが、一審原告が本訴において問題とする記事等は、原判決三丁裏六行目から六丁裏末行までに記載のとおりである。

2  本件記事一、二は衆議院議員であり建設政務次官に就任した一審原告が右のとおり破産申立てを受けるなどして経済的紛争の渦中に巻込まれたことから、一審原告の人格識見に対して批判、論評を行うものであって、その内容及び右一審原告の地位にかんがみれば公共の利害に関わる内容であることが明らかであり、また、本件記事三についても、右同様の問題についての事実の摘示をし、批判、論評を加え、さらに右の内容の本件記事一に対して名誉毀損であるとして訴訟を提起した一審原告に対して事実を摘示し、これに批判、論評を加えるものであるから、やはり、その内容及び右一審原告の地位にかんがみれば、公共の利害に関わる内容のものであることが明らかである。そこで、本件各記事は専ら公益を図る目的に出たものであると推認できるから、摘示された事実が真実であるか又は真実と信ずるにつき相当の理由があるときは、一審被告は名誉毀損による損害賠償等の責任を負うことはないというべきである。また、本件各記事中には事実を前提とした論評の部分も多くあるが、このような論評については、右前提となった事実の主要な部分が記事中に記載されていて、かつ、真実であるか又は真実と信ずるにつき相当の理由があり、右前提となった事実から右論評をすることが不当、不合理とはいえないものであるときは、不法行為を構成することはないというべきである。そこで、以下、本件各記事毎に判断する。

3  本件記事一について

(一)  本件記事一について一審原告が問題にする部分を見てみると、問題とされる部分のうち「破産・代議士」(見出し、広告)、「利権がらみの話で、よく名前が取沙汰される。まだ当選三回なのに、いくつも事務所を持ち、大勢の秘書を抱えている」「彼は大蔵省のエリート官僚出身だが」(本文①)、「政務次官は幹事長人事で、今回は反梶山派排除を露骨にやり、かなりもめた。そのドサクサに甲野氏が強引さを発揮、利権ポストをもぎとったといわれています」「歳費まで差し押さえられたうえ、地元の和歌山二区は減員区だし」(本文②)とある部分は事実を摘示しているものであるが、このうち「破産・代議士」(A部分)、「利権がらみの話で、よく名前が取沙汰される」(B部分)、「そのドサクサに甲野氏が強引さを発揮、利権ポストをもぎとったといわれています」(C部分)、「歳費まで差し押さえられた」(D部分)との部分は、一審原告の名誉を毀損する部分であるといわざるを得ない。しかしながら、その余の事実摘示部分、すなわち「まだ当選三回」「いくつも事務所を持ち」「大勢の秘書を抱えている」「大蔵省のエリート官僚出身」「政務次官は(中略)かなりもめた」の部分は、事実を摘示する部分ではあるが、一審原告の名誉を毀損するものとはいえない。しかして、

(1) 右A部分については、その「破産・代議士」という用語は日常的に使用され、その意義も一義的に定まっているというものではないのであって、右用語からは、代議士である一審原告が破産宣告を受けたとの意味を汲取ることもできるが、また、一審原告が破産宣告を受けていないが事実上の破産状態にある、あるいは破産宣告の申立てをされたとの意味を汲取ることも十分に可能である。そして、本件記事一の本文中には、債権者とされるMが破産申立てをしたとの記載はあるが、一審原告が破産宣告を受けたとの記載はないから、この本文をも併せて読めば、「破産・代議士」の用語は、破産申立てを受けた代議士との趣旨であることが明らかになるから、虚偽を記載しているものではないというべきである。もっとも、右A部分は見出し及び広告であるから、見出しや広告だけを読む読者もいることを前提とした検討をしなければならないところ、「破産・代議士」という本件見出しや広告における用語は、右のとおり代議士である一審原告が破産宣告を受けたとも、事実上の破産状態にあるとも、また、破産の申立てをされたとも受け取ることができるものであって、少なくとも一義的に一審原告が破産の申立てをされたとだけ解釈できるというものではないのであるから、この見出しや広告の記載はいささか正確性を欠くということができるが、しかしながら、見出しや広告の記載そのものは、一般的に、読者の関心を惹いて本文を読んで貰おうとし、また、読者が記事本文の内容を一目で理解するようにつける表題であるが、記事内容を正確に要約するよう要求する度合が大きければ必然的に冗長となって一覧性を害することになることから、見出しに続き、広告の内容をなす記事本文に関する読者の理解を誤導しない範囲内である程度の省略、誇張をすることはやむを得ないところであり、読者においても、見出しや広告の記載がこのような性質を有することを了解して読むのが通常であると考えられる。そうすると、右のとおり「破産・代議士」という本件見出しや広告における用語はいささか正確性を欠くということができるが、他方、虚偽を記載したものということはできないのであるから、右見出しや広告は、見出しや広告そのものが持つ省略あるいは誇張等の性質をも考慮すれば、不当であるとまではいうことができず、一審原告において受忍すべき範囲内の表現方法として、一審被告において損害賠償の義務を負うべきものということはできないといわざるを得ない。

(2) 次に、B部分の「利権がらみの話で、よく名前が取沙汰される」というのは、乙五、六、一一、一二によって真実と認めることができ、このように多数回名前が取沙汰されることは「よく」という評価を受けてもやむを得ないのであって、B部分が虚偽であるとか、不当な評価をしているということはできないものである。

(3) C部分の「(一審原告が)強引さを発揮、利権ポストをもぎとった」という部分は、一審原告は、前示のとおり平成二年二月に農林水産政務次官に就任した経歴があったので、乙一五によれば、このような場合、次の政務次官ポストは経済企画、科学技術、環境などが多いと認められるところ、一審原告は、平成四年には建設政務次官に就任することを希望し(原審における一審原告本人尋問の結果)、その通り建設政務次官に就任できたのであるから、これを「強引」に「もぎとった」と批判し論評することは、虚偽を述べているとか批判、論評として相当性の範囲を逸脱していて不当・不合理であるということはできないといわざるを得ない。

(4) D部分については、前示のとおり真実であると認められる。

(二)  本件記事一のその余の部分は、右真実又は正確性を欠くが虚偽ではない事実を前提とした批判、評論であり、これらが批判、論評として相当性の範囲を逸脱し不当・不合理であるということはできないものである。すなわち、

(1) 「それでも『政務次官』」(見出し)の部分は、前示「破産・代議士」を受けて、破産申立てを受けるという紛争の渦中ある一審原告が政務次官に就任したことを批判するものであるが、政務次官は、その機関の長たる大臣の申出により、内閣において任免されるもので、その機関の長たる大臣を助け、政策及び企画に参画し、政務を処理し、並びにあらかじめその機関の長たる大臣の命を受けて大臣不在の場合その職務を代行する(国家行政組織法一七条三号、五号)という要職であるから、このような要職に就くことになった一審原告が、自らした保証契約によって前示のとおりの紛争を抱えていたことは、批判されてもやむを得ず、このような批判は一審原告において受忍すべきものといわなければならない。

(2) 次に「そんなカネ、普通では作れるわけがない」「政治理念よりカネが先行しているという印象をうけます。こういう人物が、建設政務次官などという地位を占めることは許されませんよ」(本文①)の部分は、甲三、乙六、七、一〇、一二によれば、一審原告は選挙区内に一〇ヶ所の事務所を有し、一〇人前後の秘書を抱えていて、経費は、和歌山だけで年間七五〇〇万円、全体で二、三億円というものであるところ、一審原告の平成四年度給与所得は六一六一万円であるが、一審原告は九社の会社経営に関係しており、総所得は、昭和六二年度は約二億八〇〇〇万円、昭和六三年度は約二億五六〇〇万円、平成元年度は約一億二四〇〇万円であって、東京の超高級マンションに二部屋を構え、その一部屋を東京事務所としていると認められるのであるから、このような事実を前提に、「そんなカネ、普通では作れるわけがない」「政治理念よりカネが先行しているという印象をうけます」と評し、さらに「こういう人物が、建設政務次官などという地位を占めることは許されませんよ」と批判することは、批判、論評として不自然なものではなく、公選の代議士、ことに政務次官という要職にある者に対する批判、論評として許される範囲を逸脱しているものということはできないのである。

(3) 「危機感にかられたようです」の部分は、前示の「強引」「もぎとった」の動機を推測するものとして記述されており、これ自体が一審原告の名誉を毀損するということはないのであるから、右「強引」等に就いて論じた部分と同じに考えることができる。また、「政務次官就任も債務問題と直結したわけか」(本文③)の部分については、前示のような一審原告が置かれた債務状況等を前提にし、かつ、前示のとおり一審原告が農林水産政務次官を勤めた後、建設政務次官に就任するという異例な道を辿ったことを踏まえて論評を加えたものであり、一審原告の地位を考えてみれば、決して右論評は不当・不合理なものであるということはできないといわざるを得ない。

(三)  なお、全体をみてみると、本件記事一は、利権絡みの方法によって分不相応に多数の事務所、秘書に係る経費を捻出していた一審原告が、出身選挙区の減員問題だけではなく、歳費を差し押さえられた挙げ句に破産を申し立てられるような債務問題を抱えて危機感にかられ、これらの問題を解決するため、建設政務次官という利権を伴う地位に強引に就いたとの推測を提示するものということができるのであるが、前示のとおりの事実関係から、公選の代議士であり、政務次官という要職にある者に対して、そのような推測をし、批判を加えることは、公共の利害に関わる内容で、専ら公益を図る目的に出たものであると認められ、推測の過程も不当・不合理なものとはいえないから、名誉毀損による損害賠償責任が発生することはないといわなければならない。

(四)  以上のとおり、本件記事一については、事実摘示部分の主要な部分は真実と認められ、その事実を前提とした論評部分は論評として相当な範囲を逸脱した不当・不合理なものということはできないものであるから、結局、本件記事一は、一審原告の名誉や名誉感情を毀損する部分があっても、一審被告において損害賠償の責を負うものではないといわざるを得ないのである。この点の一審原告の請求は理由がない。

(五)  なお、一審原告は、一審被告の取材の経過等が杜撰であったと主張し、そのような杜撰な取材によって構成された本件記事一は違法との評価を免れないと主張する。しかして、本件記事一の取材経過は原判決二一丁表三行目から二四丁裏五行目に記載のとおりであって、一審被告は、一審原告の代理人樋口弁護士から、Mとの債権債務関係については資料を提示するから事務所に来られたいとの要望を受けながら、締切りまでの時間がないとの理由で電話による取材をしたのみであったことが認められ、このような取材の方法は、一般的にはやや不十分との誹りを受けてもやむを得ないものと考えられるが、現実に締め切り時間を無視することができないマスコミの実状を考慮の外におくことは実際的ではないし、前示のとおりの一審原告の地位にかんがみれば、時間と経費を十分にかけて詳細な取材を尽くして正確無比な報道をすることを犠牲にしても、早期の段階で、一部ではあっても確定した事実をもとに推論を加えて批判的論評をする等の報道をし、主権者である国民に対して投票等の政治行動に対する判断の基礎・基準を提供するなどの報道姿勢をとることも、許されないものではないというべきである。そして、なによりも、前示のとおり、本件記事一の事実摘示部分はその主要な部分が真実と認められるのであり、論評部分においても不当な論評というべき部分はないことからすれば、取材方法に不十分な部分があっても、そのために名誉を毀損された一審原告が一審被告に対して損害賠償を請求し得ることになるものではないというべきである。

4  本件記事二について

(一)  本件記事二について一審原告が問題にする部分を見てみると、問題とされる部分のうち「『借金五億円』で次官になる『実力』」(見出し①)、「歳費差押えの次は『破産宣告』?」(見出し②)、「トラブルがらみ」(本文①)、「甲野が次官になったのは、温情ですな。減員区なのに、悪い話ばかりじゃ、選挙は戦えんからね」(本文③)、「今回の申立てを予想して、財産の名義を他人に換えただけでしょう」(本文④)の各部分が事実を摘示しており、これらは一審原告の名誉を毀損するものというべきである。しかして、

(1) 「『借金五億円』で次官になる」(見出し①)、「歳費差押えの次は『破産宣告』?」(見出し②)の各部分は、前示のとおり事実であり、見出し①の『実力』の部分は、その前段を受け括弧を付けて記載することによって、一審原告を批判する意味を持たせたものと考えられるのであるが、前示のとおりの異例な経過を辿った建設政務次官への就任等を考えれば、そのような批判も許される範囲内の批判であるというべきである。

(2) 「トラブルがらみ」(本文①)の部分は、その一語のみではどのようなトラブルがらみであるのかは判然とせず、一審原告の社会的評価が低下するとはいうことができないし、甲四によれば、この文言は「新聞でこの人の名前を見かけるといったら」との文章を受けたものであり、かつ、その後の本文を読むと、前示のMとの債務についての争いを批判しているものであるから、この「トラブルがらみ」はそのような経済的トラブルを指しているものとも考えられるところ、そのような意味であれば、これは事実であって誤りということはできない。そこで、いずれにしても、この部分は、一審被告に対する損害賠償請求を認める根拠とはならないというべきである。

(3) 「甲野が次官になったのは、温情ですな。減員区なのに、悪い話ばかりじゃ、選挙は戦えんからね」との部分(本文②)は、選挙を戦うために温情で次官に就任したとの論評というべきであるが、これも、原判決が説示するとおり、政務次官就任等の人事は一般的には、任命権者による主観的評価がある程度入り込むことは避けがたいのであり、これを「温情」と評価されても、一審原告の名誉が毀損されるものとはいえない。

(4) 「今回の申立てを予想して、財産の名義を他人に換えただけでしょう」(本文④)の部分は、前示のとおり、一審原告は一〇ヶ所の事務所を有し、一〇人前後の秘書を抱えていて、経費は、和歌山だけで年間七五〇〇万円、全体で、二、三億円というものであるところ、一審原告は九社の会社経営に関係しており、その所得は、給与所得六一六一万円(ただし、平成四年度)を含め、昭和六二年度は約二億八〇〇〇万円、昭和六三年度は約二億五六〇〇万円、平成元年度は約一億二四〇〇万円という高額なものであり、東京の超高級マンションに二部屋を構えていると認められるところ、平成二年二月農林水産政務次官に就任した際の資産公開では、三重県鵜殿村の土地建物と自動車が所有資産とされたのに、建設政務次官就任時の資産公開ではこれがなくなっているし、預貯金等もないというのであるから、このような状況の中で政務次官という要職に就任している公職の代議士に対して、差押えや破産の申立てを「予想して、財産の名義を他人に換えた」との推測をし批判をすることは、不当・不合理ということはできず、このような批判によって損害賠償の責任が生じるということはできないものである。

(二)  本件記事二のうち「ありゃあ、政治家ではなくて、議員バッジをつけた商売人」(本文②)、「いずれにしても、政務次官に、こんな『実力者』がなっているのだ」(本文⑤)の部分は、前示の事実関係を前提にした批判、論評であるところ、「議員バッジをつけた商売人」との論評は、議員活動をしている者に対しては、いささか穏当を欠くということもできるが、前示の一審原告の経営に関係している会社の数や所得を考慮すれば、いまだ正当な論評としての範囲を逸脱しているものということはできないし、「いずれにしても、政務次官に、こんな『実力者』がなっている」との部分も、これらを総合した批判めいた感想として、いまだ正当な範囲を逸脱していて、損害賠償責任が生じるほどのものとはいえない。

(三)  なお、本件記事二の全体をみてみると、その主旨は、原判決記載のとおり「一審原告が資産五〇億円ともいわれ、政治家というよりも商売人というにふさわしい者であったのに、政務次官就任後に公開された『次官の資産』では、関連会社の株式六億三〇〇〇万円のみが資産となり、不動産、定期性預貯金は零となっているが、これはMによる歳費差押え、破産申立てに対抗し、財産隠しとして名義を他人に換えただけである」とするものであり、一審原告の名誉ないし名誉感情を毀損するものであるといわざるを得ない。しかしながら、前示のとおり、一審原告が農林水産次官就任時に資産として公開した土地建物及び自動車について、建設政務次官就任時には資産公開の対象とせず、他方、一審原告は、当時、Mから破産の申立てを受けるかも知れない状況にあったのであるから、このような一審原告に対して、右のような批判、論評をすることは相当性の範囲を逸脱しないものとして許されるべきものであって、この批判、論評によって一審原告の名誉ないし名誉感情が侵害されても、それは政務次官という要職にあった一審原告において受忍すべき事柄であるといわざるを得ないのである。

(四)  結局、本件記事二による損害賠償を求める一審原告の請求は理由がない。

5  本件記事三について

本件記事三に関する当裁判所の判断は、次のとおり敷衍する他は、右記事に関する原判決の理由説示(原判決二七丁裏末行から三二丁表四行目まで)と同一であるから、これを引用する。すなわち、

(一)  本件記事三については、「『甲野』政務次官の名誉毀損『訴訟』は自爆」との大見出しと、政務次官が差し押さえを受け、破産の申立てを受けたのであれば、道義的にもその資格が問われるのは当然であるのに、一審原告は本件記事一が名誉毀損だとして訴訟に及んだが、むしろ一審原告が破産の申立てを受けたこと自体が自らの名誉を傷つけたのではないかとするリード部分に続き、週刊新潮が、本件記事一により破産の申立てを受けるような人物が政務次官として相応しいかどうかを指摘した(本件①)ところ、一審原告が本件訴訟を提起したが、週刊新潮側が問題にしているのは、政治改革が叫ばれているなかで政治家の倫理がいっこうに省みられていない点(本件②)であるとし、一審原告がTの連帯保証人となったことについて、Tが一審原告の支持者であるというだけでは理解しがたいほどの便宜を図ったようにも思えるとする第一段(本文③)に続いて、「全く男らしくない」との小見出しに続き、M側の代理人の談として、一審原告が右連帯保証債務について、当初は金額を五億円に減額して分割払いをすることをMと合意し、一部は履行したのに、後になって半額にまけてほしいと言い出すなどしたのは、全く男らしくないとする第二段(本文④)、Mが一審原告の議員歳費と事務所の家財道具の差押えをしたが、テレビや冷蔵庫に赤紙を貼られていることは、国権の最高機関の一員である者にとって名誉なことではない(本文⑤)とした上で、一審原告代理人の談として、Mは、十分な担保をとるよう一審原告から頼まれていながら、担保物件に抵当権をつけるのが遅れ、後順位抵当権しか得られなかった過失があるので、決着がつくまで一〇年かかるかも知れないが一審原告が負けるはずがなく、破産申立てについても、一審原告は債務超過の状態になく、破産申立てはMの嫌がらせであるなどというコメントを紹介し、これに対し、債務の存否等は判決が出るまで分からないが、一般の国民と代議士とでは立場が異なり、連帯保証人となった結果差押えや破産の申立てを受けたとなれば、それだけで有権者の信頼を裏切ったことになるのに、法的に決着がついていないからと道義的責任すらも回避する一審原告の姿勢自体が自らの名誉と信頼を傷つけているとしかいえないとする第三段(本文⑥)、及び、「首相の責任」との小見出しに続き、一審原告が政務次官就任後週末毎に地元で就任祝賀パーティーを開くなど政務次官就任の事実を宣伝しているが(本件⑦)、秦野章元法務大臣の談として、政治家の道義的責任には基準がないものの、こと金に関しては一般市民以上の厳しさが必要なのに、民事上の規範からすら外れて破産の申立てを受けるというのでは、政治家として駄目であるとの趣旨のコメント(本文⑧)を紹介し、一審原告が右秦野の指摘する一般市民と政治家との違いを理解していないように思える(本文⑨)とした上で、一審原告にはいろいろと噂があり(本文⑪)、国会の場で議論すべきだとする楢崎弥之助代議士のコメント(本文⑩)を引用し、最後に、政治倫理という点でいささか問題のある一審原告を政務次官に就任させた宮沢首相の責任は極めて重いし(本文⑫)、自らの非は棚に上げて名誉毀損で訴えたことは、一審原告の「自爆」につながりかねないとする第四段(本文⑭)からなる。

(二)(1)  このうち、事実を摘示し、かつ、一審原告の名誉を毀損する部分は、「一審原告が歳費や家財道具を差し押さえられ、破産の申立てをされた」(見出し②)、「テレビや冷蔵庫に赤紙を貼られた」(本文⑤)、「一審原告はいろいろと噂のある人」(本文⑪)であると考えられるが、しかしながら、これらは前示したところから明らかなように全て事実というべきものである。そして、その余の部分は、このような事実関係を前提にした批判、論評であり、この批判、論評が相当性の範囲を逸脱した不当・不合理なものであるということはできないのである。すなわち、本件記事三は、一審原告が破産の申立てを受け、これに関して公にされた本件記事一つについて名誉毀損として本件訴訟に及んだ経緯についての事実を摘示するとともに、自らの意見表明として、あるいは、他者のコメントの形をとり、「『甲野』政務次官の名誉毀損『訴訟』は自爆」「そのような人物が政務次官として相応しいか」「代議士の支持者というだけでは理解しがたいほどの便宜を図ったように思われる」「全く男らしくない」「法的に決着がついていないからと道義的責任すらも回避してしまう。そうした姿勢は、甲野氏自身が自らの名誉と信頼を傷つけているとしかいえない」「政治倫理という点でいささか問題のある人物」などと、一審被告なりの批判、論評を加えるものであり、全体としては、一審原告の社会的評価を低下させるものということができるが、本件記事三は主要な点において真実と認められる事実に基づき、破産申立てを受けたことそれ自体が政務次官としての適性を疑わせるとの観点から批判、論評を加えているものであり、この批判、論評がその相当性を欠くとか相当性の範囲を逸脱しているとかいうことはできないものである。なお、本件記事三が一審原告の裁判を受ける権利を侵害するものということはできないことは明らかであるし、一審被告は専ら一審原告の本訴提起に対する報復として右記事を記載したのであると一審原告は主張するが、本件記事三掲載の時期から考えると、一審被告の動機にそのような部分があったのではないかと疑うことも理解できるが、しかしながらこれを認めるべき証拠はないといわざるを得ない。

(2) 一審原告は、前示のとおり、見出し①及び広告の「名誉毀損『訴訟』は自爆」とする部分が一審原告の名誉を毀損しないとの原判決の判断は承服しがたいと主張するところ、確かに「自爆」の用語は、一審原告の本件訴訟が敗訴するとの印象を読者に与えることは否定できないものであるといえるが、しかしながら、これが右訴訟の一方当事者である一審被告の見解を表明した論評の一つに過ぎないものであることは容易に理解できるものであるのみならず、前示のとおり、一審原告が就任していた地位にかんがみ、また右見出し①及び広告の表現は、前示の本件記事三の内容を見出しや広告としての性質、制約の中で簡潔かつ端的に表現しようとしたもので、それ自体で一審原告の名誉を毀損しようとした等の逸脱した目的があるとは認められないことからすれば、一審原告の名誉ないし名誉感情が傷つけられたとしても、これは一審原告において受忍すべき範囲内にあるものであって、一審被告において損害賠償の責めを負うべき違法なものということはできないものであるといわざるを得ない。

(三)  結局、本件記事三による損害賠償等を求める一審原告の請求も理由がない。

二  よって、一審原告の慰謝料及び謝罪広告請求はいずれも理由がなくこれを棄却すべきであるところ、このうち慰謝料請求を一部認容した原判決は相当でないので、これを取り消して一審原告の同請求部分を棄却し、一審原告の控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官佃浩一 裁判官髙野輝久)

別紙〈省略〉

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